2013年9月4日水曜日

塾に通わずに成績を上げるには

せんだっての記事で、塾に通わなくても成績を上げられる場合があると書きました。
どうしたら、良いのかというと、ずばり、

「子供が自分で勉強ができるようにする」=「自分で学ぶ技能を身につけて貰う」

です。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、決して当たり前のことではありません。
なぜなら、学校や塾の教師の話を聞いて、勉強を理解したり、できるようになることと、自分で勉強できることというのは大きく異なった技能だからです。


自分で教科書なり参考書なりを読んで、理解し、それに基づいて勉強するというのはかなり高度な技能です。
中学生や高校生の大半は、これができていません。
中学や高校で上位の成績を出している生徒でも、たいていはできていません。多くの生徒の勉強は受動的で、教えてもらったことを理解し、その上で言われたことを演習するだけです。
もちろん、そういった勉強でもある程度は成績が上がりますが、学年があがり高度な勉強が必要になるにつれ厳しくなっていきます。
受動的な学習では、遅かれ早かれ、いずれジリ貧になってしまうのです。


教科書や、学校や塾で配布される参考書や問題集というのは、勉強しなければならない内容が分かりやすく説明されています。場合によっては、図説されています。能動的な学習ができない生徒は、これを読んで意味を理解することができないのです。(「やらない」のではなく、「できない」のです)
例えば、同じ文章を教える側が何の工夫もなく音読してあげたり、あるいは生徒自身に音読させれば、それで生徒は理解できちゃったりするのですが、ただ自分で読むというだけのことができません。
生徒によって程度の差はありますが、「学ぶ技能」が多くの生徒が未熟です。
ですので、塾で生徒を指導するときは、生徒のレベルに応じて生徒が自分の力で勉強できるように促していきます。
塾で標準採用しているフォレスタというテキストは、手取り足取り教えてあげるためのテキストですが、それが使いこなせた上でワンランク以上レベルの高いテキストを扱う場合には、困ったときに助けてあげるだけです。基本的には生徒に自分の力で、文を読み、考えてもらいます。
ただし、中学生の段階でフォレスタを一通りこなす程度の力の無い生徒は、ある意味で手遅れです。フォレスタを軸とした指導を塾で受けて貰えれば、学校の成績は上がるでしょうし、学習習慣もある程度は身につくでしょう。ただ、自分で考え、自分で学んでいく技能を高いレベルで身につけるのは中学生になってからでは、かなり難しいです。


「自分で学ぶ技能」の中軸になるのは、「読解力」です。
「国語力」と読んでも良いかもしれませんが、これは国語の問題集を解く力とはまた別の種類の技能です。ここでいう「読解力=国語力」はリテラシーに近いものといえるかもしれません。
この技能を身につけるためには、できるだけ幼いうちから、自分で勉強し、学ぶ習慣を身につけることです。
できれば、小学校入学前や小学校低学年の頃が望ましいでしょう。まだ勉強が「易しい」うちがチャンスなのです。
小学校の学校の成績が良いからといって安心はできないでしょう。小学校の勉強は中学や高校と比べて易しく、「小学校では、学校の授業さえ聞いていれば、それで理解することができてしまう」のです。
そこに「自分で学ぶ力」はまったく必要ありません

可能であるならば、学校の予習ができる予習のテキスト(本屋で市販のテキストでも、進研ゼミでも構いません)で勉強してもらうのも良いと思います。小学低学年のうちなら、ほとんどの生徒は特に指導者が付かなくても問題なく勉強することができます。可能ならば、保護者の方が教えてあげても良いのですが、目先の成績よりも自分の力で学ぶ技術を身につけてもらうことの方が大切ですので、過度の干渉は良くないでしょう。
小学校低学年というのは、そもそもそれほど教えるほどの事はありません。大切なのは、教えて貰うのではなく、自分の力で学ぶということなのです。
能力が高い子であるなら、復習型で応用的な問題を解いてもらうのも良いでしょう。
低学年のうちに読解力を身につけるというのは本当に大切です。
森塾などでは、「読解力のない中学生に読解力を身につけさせるのは、手遅れだから、森塾では国語は教えない」などと公言しています。
それなりに苦労してもらうことと、学校の成績にはすぐに直結しないことを前提にですが、私は決して手遅れではないと思います。ただ困難であることは間違いがありません。

子供には、絵本図鑑は大切です。
漫画やドラえもん大百科でももちろんOKです。子供自身が興味を持てるもので、本人のレベルに合わせて少しずつ難易度を引き上げていけたら、大切です。

本を読むことより、外で遊ぶことの方が好きだという子供もいるでしょう。
しかし、ある程度子供の行動は誘導し、コントロールすることができます。大切なのは、周囲の大人が上手に誘導してあげることです。
周囲の大人というと、家族や場合によっては塾の教師ですね。
どうしたら上手く誘導できるかというのは、子供の個性によってかなり違うのでしょう。ある促し方である生徒に対して上手くいって、別の生徒では上手くいかなかったというのは塾でもよくあります。

ですが、多くの場合で上手くゆく手法というのはあります。
子供という生き物は、大人よりもずっと単純にできています。当たり前なのですが、幼いのです。

×多くの場合失敗するダメな例
・ 将来のために、勉強しなさい。
・ 全然できないじゃない。このままじゃダメだよ。

小学生に、将来のことを言うのは少し早すぎます。また、ダメ出しされたら、やる気は落ちて当然です。
漫画本でも、ドラえもん大百科でも、どんなつまらないものでも、「難しい本が読めて、すごいね」とほめてあげるべきです。学校の宿題を間違えまくっていても、間違いを叱るのではなく「難しい宿題を投げ出さずにやってエライね」とほめてあげるべきです。
子供を叱るのは、他人を迷惑をかけたり傷つけたり、本人が危険にさらされるような事をしたときに限定するべきです。(と、私も考えて生徒を指導しています)

勉強をするのは、子供の仕事ですが、
子供が、勉強ができるようにしてあげるのは大人の仕事です。
ありがちな言い方ですが、環境が子供を育てるのです。

ときどき、保護者の方から、
うちの子は、親に似て才能がないですから
なんていうことを聞かされることがあります。
ですが、それを聞く度にいつも「本当は才能が無いと親子そろって思い込んでいるだけなんじゃないか」と内申で疑っています。

たしかに、才能というものもあるのかもしれません。
けれども、生まれつきの才能と、後天的に身につけた才能は簡単に見分けが付くようなものでもありません。

以前に指導した生徒の中に、劇的に指導が上手くいった子がいます。
(簡単なテキストからはじめて、中1で数学が「2」だったのが(それも提出物を出してないとかではなく、勉強がまったく分からないための2)、中2に上がるときには「4」にまで上がった生徒です。)
その生徒は、中1で塾で預かった当初から真面目な生徒で、大人に指示されることは何でも聞く生徒でした。なので、指導した私自身も、
この子は言うことを聞いてくれる良い生徒なのだけど、自分で考える力は弱いんだなあ
と思っていました。
ですが、易しいテキスト(つむぎ出版「みるみる分かる数学の要点中1」)で指導をし、特別な指導をせず自分の力で演習させていったところ、みるみる力を付け、難度の高い応用問題にまで挑戦できるようになりました。
この生徒が力を付けたあとで、初めてその生徒を担当した講師は次のように言いました。
あの子は良いですね。まだ経験は足りないですけど、自分で考えて応用する力がずば抜けています。才能があるのでしょうね
私が初めにイメージしていたのと、まったく逆の評価です。

「応用力」や「考える力」というのは、世間では先天的な才能だと見られる傾向にあります。ひょっとしたら、先天的な部分もあるのかもしれません。ですが、後天的に身につけられないものでもないのですよね。
ただし、上述した生徒のように中学生になってから大きく才能を伸ばすことのできる生徒もいるでしょうが、でもできたら早い段階、小学生や小学校入学前から才能は引き出してあげるべきです。
小学校入学前に「足し算・引き算」や「九九」くらいまでをご家庭で教えておいてあげれば、子供は学校の勉強が簡単に分かるため「自分は頭が良いんだ」と勘違いしてやる気を出し、いずれはその勘違い本物に変えてくれます。
勉強は分かるからこそ面白いのですし、自分に才能があると信じられるからこそ努力もできるのです。(これは、中高生や大人にも当てはまることだと思いますが、幼い子であるほどより顕著であるように感じられます)

さて、長くなりましたが、できるだけ端的にまとめましょう。

塾に通わず成績を上げるには、

「子供が自分で勉強ができるようにする」=「自分で学ぶ技能を身につけて貰う」
そのために、できるだけ幼いうちから読解力を身につけて貰う。
そのために、本(絵本・図鑑・漫画等)を子供が積極的に読むように促し、
また、できるだけ早い段階から勉強を勉強をしてもらう。

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